
昨晩のことだが久しぶりに図書館で借りたDVDを観る。カンヌだかで賞を取ったらしく、映画はよく出来ていると思う。しかしそこに描かれているのはかつての日本の農村の、戦慄を覚えるほどの貧しさである。余分な子供たちは女の子であれば売られ、男の子であれば捨てられる。そんな中でも産み、逞しく生きる姿も描かれてはいるのだが、どうしても今の日本の状況と考え合わせてしまう。「出る杭は打たれる」日本の今の状況を嘆く声は多いが、これを観ると「そりゃ仕方なかろう」と思ってしまう。村の掟を破ったものは村八分にされ、一族全員生き埋めにされ、根絶やしにされるのである。かといって自然は厳しくとても一人では生きて行けないし、よそに逃げてもまた同じ村があるだけである。そしてこのような生活を何百年も積み重ね「日本人」が作られたのである。それがたかだか数十年で劇的に変化するはずもあるまい。
ところで「日本人」という形質が遺伝子に刷り込まれている訳ではないです。生物学的に言って獲得形質は遺伝しないので。だから日本人夫婦から生まれた子供でもアメリカで育てばアメリカ人になる(厳密には後天的に親の影響を受けるので半々くらいかな)。しかし特定の表現型を持つ個体群(例えば村の輪を乱すような一族)を根絶やしにし続ければ、ある一定の遺伝的傾向を持ったグループが形成されるということはある(例えば変化を極端に嫌う民族とか)。それでも子孫の表現型は親と全く同一にはならず正規分布を示すので、集団の傾向とは異なる形質を示す個体はごく少ない割合で出現し続けることになる。だからこの日本に於いても常に織田信長やホリエモンは出現し続け、そして最終的に抹殺され続けることになる。やれやれ。
しかしなにも日本だけがこのように貧しかったわけではない。スタインベック著「怒りの葡萄」を読んだのはもうずいぶん前だが「世界最強を誇るアメリカもほんの数十年前はこんなに貧しかったんだ」と驚いたものだ。アメリカ独特の「感謝祭」だって、初期移住者たちが「今年もこの時期に食べるものがあってありがとうございます」と神に感謝する日だからね。
0 件のコメント:
コメントを投稿